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DIALOG01

SocioFuture 25th特別対談会

取材日:2024年3月28日

ベンチャー精神、チャレンジ、
夢をかたちに。
ハイタッチなオペレーションで
もっと優しい社会に。

SocioFutureは、2024年1月、創業25周年を迎えました。
これを記念し、創業時からそれぞれの立場で当社を支えてきた顧問・OBが集い、
四半世紀の軌跡を振り返るとともに、これから目指す未来について語り合いました。

対談の集合写真、左から松本睦彦、中野裕、山崎民則、中邑幹夫

TALK MEMBER

  • 中野 裕の人物写真

    SocioFuture株式会社

    代表取締役会長CEO

    中野 裕

    1980年日本NCR入社。ファイナンシャル・システム、ニューウェイ・オブ・コンピューティングの各部門を経て、金融システム本部時に日本ATM(現SocioFuture)設立プランを申請、承認され、1998年設立。2006年社長就任、2022年より現職。

  • 松本 睦彦の人物写真

    SocioFuture株式会社

    顧問

    松本 睦彦

    1969年住友銀行(現三井住友銀行)入行。一橋支店長、三宮支店長、事務総括部長、業務総括部長、 法人総括部長、個人総括部部長を経て、2001年三井住友銀行 常務、専務代表取締役。三洋信販社長(現SMBCコンシューマーファイナンス株式会社)など歴任後、2014年より現職。

  • 山崎 民則の人物写真

    SocioFuture株式会社

    OB会長

    山崎 民則

    1971年日本NCR入社。ファイナンス営業部を経て、1999年日本ATM(現SocioFuture)入社。2000年常務取締役企画本部長、2006年取締役副社長。2008年日本ATMヒューマン・ソリューション株式会社 社長を兼務、2008年日本ATM監査役。2022年退任。

  • 中邑 幹夫の人物写真

    SocioFuture株式会社

    OB会副会長

    中邑 幹夫

    1966年日本NCR入社、技術部所属。1999年日本ATM(現SocioFuture)入社、取締役カストマーサービス本部長。2006年経営品質本部長、2013年シニア雇用により人事総務本部付部長。2023年退任。

- CHAPTER 1 -

日本NCRからの独立
銀行コスト削減の要請
(日本ATM設立の土壌)

笑顔で対談を行う松本睦彦と中野裕

すごく意欲的な人という
印象でした。

01出会いはピンチのとき

——本日は創業からSocioFutureを支えてくださった皆さまにお集まりいただきました。まずは日本NCRから独立した経緯についてお話いただけますか。

中野

1994年、私は住友銀行さんをはじめとする都市銀行へシステムを販売、開発、保守を担当する部の部長に就きました。ちょうど住友銀行さんの勘定系システムがNCRから他社へ切り替わる厳しい局面で、今後はどのようなビジネスチャンスがあるかを模索していた時期でした。その就任挨拶の時、住友銀行のシステムと事務を統括される事務統括部長の松本さんとお会いしました。

松本

私も出向先から戻って来て、全く未経験部門の事務総括部長に就いて間もないころでした。当時、中野さんは若い部長さんで、すごく意欲的な人という強い印象を受けました。

中野

1997年にアジア通貨危機が勃発し、銀行の収益状況が厳しくなる中、複数の銀行からどうしたらコストを削減して競争に打ち勝っていけるのかというご相談を受けていました。皆さん事務・システムのコスト削減を要求されていましたが、手形交換事務など、本質的には同じ事務でありながら、銀行ごとに独自の事務フローで処理しているものを共同化できないかと考えました。仮に、複数の銀行で共同化できれば、同じ事務フローで大量の手形を処理できる仕組みになるため事務効率の向上が期待できます。当時、銀行は事務の共同化でコストを圧縮できる、換言すれば多くの無駄を内包している業務がまだ山のようにあるという認識を持っていました。

松本

例えば、かつて銀行の店舗は表通りの一番いい場所にあって、住友銀行や三菱銀行、富士銀行の支店がみんな背中合わせのように建っていました。そして、店舗の裏では各銀行がそれぞれに手配した警備会社が現金運搬、装填をやっていました。1つの警備会社に皆で委託すればコストをより削減できることは明らかでした。私は当時からこうした業務は共同化すべきだと考えていました。

銀行の本来の責務を
考えていました。

02無駄をヒントにベンチャー設立

松本

また、当時は銀行がそれぞれ別のメーカーにATMを発注しており、ATMの出金取引の時間が他行よりも何秒早くなったなどということを競っていました。業界紙にも取り上げられるくらいのヒートアップぶりでした。もちろん、ATMのスピードが早くなることはお客さまにとってメリットではありますが、銀行サービスの本質ではないのではないか、という疑問を常に持っていました。むしろ、ATMを共同化したり、取引手順を標準化したりしてATMの維持管理コストを下げる一方、お客さまと対話する時間を増やし、ニーズに合ったサービスを提供することこそが銀行の責務なのではないかと考えていました。銀行は、ATMのスピードではなく、お客さまの満足度を上げることで競い、勝負すべきです。

中野

その通りだと思います。ATMの共同化について言えば、ハードウェアをつくるメーカーは違っても、共通のソフトウェアを搭載し同じ動作ができるようにすれば良いのではないかという発想に至りました。どのメーカーのATMでも同じ動作をし、その動作を遠隔で制御できるようにできれば、ATMを実質的に共同化したことになるので、銀行はATMの運営コストを大幅に削減できます。さらに、何か問題があった時に警備会社に連絡をし、またメーカーに修理を依頼するなどの運営全般を指揮するコールセンターを作れば、ビジネスとして成立するのではないか。これがATM監視・運営業務のアウトソースという、当社の主力ビジネスのスタートだったわけです。ただ当時、日本NCRは経営状況が悪く、リストラをやっていました。このままだと社員を守れないし、お客さまにもご迷惑をかけるという危機感があり、社内ベンチャーとして独立することを決心しました。ただ、1行からの業務受託では採算が厳しいので、住友銀行の役員だった松本さんや事務統括部長の川尻さんなどにご相談し、住友銀行と富士銀行で共同化するビジネスモデルをつくり、日本ATMとして分社化しました。

松本

当時、銀行側にもいろんな事情がある中で、中野さんからいいサービスをいかに安く提供するかという視点での提案を受け、私も共感するところが多々あったので、「じゃあ一緒にやってみよう」ということになりました。