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メインビジュアル:対談を行う中野裕と川尻至良

DIALOG 02

SocioFuture 25th特別対談会

椅子に腰掛けている中野裕と川尻至良

取材日:2024年5月15日

左から

SocioFuture株式会社

代表取締役会長CEO

中野 裕

1980年日本NCR入社。ファイナンシャル・システム、ニューウェイ・オブ・コンピューティングを経て、金融システム本部時に日本ATM(現SocioFuture)設立プランを申請、承諾され、1999年設立。
2006年社長就任、2022年より現職。

元 三井住友銀行

常務執行役員

川尻 至良

1971年住友銀行(現三井住友銀行)入行。企画部、事務管理部、春日支店長、池田(大阪府)支店長、営業事務部長を経て、2001年三井住友銀行 執行役員(事務・システム管掌副担当)、2002年常務執行役員。2004年三井住友銀行退任後、日本総合研究所専務執行役員。2007年代表取締役副社長執行役員。2011年退任。

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「原点」から
続くもの

SocioFuture成長の軌跡や未来について語り合った特別対談会DIALOG01に続き、今回は日本ATM創業の「原点」に焦点を当てました。
バブル崩壊後の厳しい時代に、新たな銀行像を求め、銀行事務のDXに挑んだ当時の熱意を振り返ります。

真剣に対談を行う中野裕

バブル崩壊後の
危機的状況のなかで

Chapter01

質問

q本日は創業時、お客さまの立場からサポートしてくださった元三井住友銀行常務執行役員の川尻至良様をお迎えして、中野会長と創業当時を振り返っていただきます。90年代半ばに出会ったころの第一印象を教えてください。

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「風邪は気のたるみ」という洗礼

川尻最初にお会いしたのは、私が住友銀行の 事務統括部の副部長をやっている時でした。いろいろな営業の方が来られるのですが、中野さんはなかなかユニークで、元気があって面白い人という印象でした。何か新しいことをやろうとお互いにアイデアをぶつけあうと、「川尻さんが言っていることって、こんなふうにできませんかね?」と短い間に返していただける、フットワークの軽さを感じました。

中野1994年1月、日本NCRで 都市銀行担当の営業部長に就任後、最初のご挨拶に伺いました。日本NCRが長年携わっていた住友銀行さんの勘定系システムが他社へ切り替わる時で、このままいくと他のシステムも全部なくなってしまうかもしれないという危機感もあり、すごく緊張して伺いました。今はこうやってにこやかにお話ができますけれども、当時はすごく厳しくて。
一回、ちょっと風邪を引いてしまい、咳が出る中、川尻さんのところに行ったら、「気がたるんでいるから風邪ひくんだ」と言われました。普通そこまでお客さまからは言われないのですが、それはお客さまというよりビジネスの先輩として、「それぐらい緊張感を持ってやりなさい」というアドバイスだったのかなと思います。

川尻そんなことがありましたか。
事務システムは、銀行という組織の中では縁の下の力持ち的な存在なのです。新規のお客さまを開拓したり、お金を融資する部門の方が“上”だとする風潮があって。銀行内ではいまだにそういう文化があるかもしれません。私はもともと営業部門にいて、事務の人たちに迷惑をかける出来の悪い銀行員でした。いろいろな勉強をしていく中で、事務の重要性というものが分かってきて、事務の部長になった時には、一種の物言う部長になっていました。事務とは本当は戦略的な分野で、営業と事務は上下構造じゃなくて、二輪車で走るものだと思っていたんです。
そうした観点からも中野さんとは呼吸のようなものが合いました。中野さんは私だけじゃなく、銀行の他のセクションも渡り歩いて、このようなことをやりたいと思っているし、実際に進めています、という話をしてくるので、僕としても行内でいろいろなことをやる時に進めやすかったですね。

フットワークの軽さを
感じました。

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銀行間の「思惑」を超えて

川尻バブル崩壊後の90年代、銀行は 深刻な不良債権問題を抱えていました。当時、私は全国銀行協会の事務委員長をやっていて、各銀行の事務担当とお付き合いがありました。銀行の環境が非常に厳しくなっている中で、事務として何か戦略的にやっていかないといけないという話はよく出ていました。ただ、具体的にどうやって何を進めていくかということになると、やはりそれぞれの銀行は競争関係にありますから、思惑みたいなものが働いて、一緒に仕事をするのは難しいということになっていたんです。
たまたま当時の三和銀行で私のカウンターパートだった部長さんが、いろいろなセクションのご経験があり、発想も柔軟な方だったので、この人とだったら何か新しいことをやれるんじゃないかなという気がしていました。それでいろいろお話する中で、手形交換システムを一緒にやろうということになったんです。お互いの銀行間の手形交換の準備作業を関東地区は三和銀行が、関西地区は住友銀行が引き受けて行うことになりました。共同にした方が合理的にできると行内を説得し、結果として場所と人員の節約になりました。この時の中野さんの役回りはものすごく大きくて、2行間を調整して、システム面でご支援いただきました。

中野川尻さんと三和銀行の部長さんとの信頼関係の中に私も入れていただいて、それがうまく運んだ結果ですよね。 当時、新聞にも発表されました。

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難航したATM監視の共同化

中野次に私からATMの共同監視アウトソーシングのご提案をさせていただいたら、住友銀行さんだけではなく、富士銀行さんも興味を示してくださいました。これは大同団結ができるのじゃないかと僕も期待したんですよ。

川尻これにはどの銀行もかなり乗り気でした。申し上げた通り、銀行は不良債権問題がありましたから、かなり思い切ったコストダウンをしないと、債権処理をする資金の足しにもならないわけです。経費率を下げていくために、僕は是が非でもやりたいと思っていました。少なくとも上位1行が一緒になったら、ものすごく大きな話になるし、銀行業界全体としても起爆剤になるのではないかと考えていたんです。
ところが、手形と同じようなことで、やっぱり競争関係にある銀行同士が一緒にやるとなると、いろいろな調整をしていかないといけないということで、なかなかゴーサインが出なかったんです。銀行がアウトソーシングしていることは、ATMを利用している一般の利用者は意識していないことで、もし何かトラブルがあった時には銀行が責任を持つわけですから、お互いの信頼関係がなかったらできません。

中野はい、自社の重要なインフラであるATMの監視を運用も含めてわけのわからないベンチャー企業に任せられないと、当然、お客さまは心配されましたし、反発もありました。のちの話ですが、日本ATMの名前では契約ができないと、3年くらい契約していただけない大手銀行さまもありました。
アウトソーシングを受けさせていただく側として、1行では当然採算が合わないですし、共同化にならないんですよね。川尻さんには富士銀行さんに一緒に行っていただいて、富士銀行さんとの意思統一を図るためにご尽力いただきました。それがとても大きなきっかけとなり、2行との契約につながりました。

真剣に対談を行う中野裕

大同団結への
きっかけをいただきました。

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